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シャンパーニュ地方南部、オーブ県のトロワに近いモングー村は、大手メゾンも注目するシャルドネの名産地。ジャック・ラセーニュの生みの親、現当主の父ジャック・ラセーニュの生まれ故郷であるこの村の恵まれた立地条件を持つ土地に惹かれ、「ここなら素晴らしいワインができるはず」と兄弟4人でブドウの植樹からと、1964年にゼロからスタートさせた家族経営の小さなシャンパーニュ・メゾン。
父ジャック・ラセーニュが設立したメゾンを息子エマニュエルが1999年に引き継いでいる。父ジャックの時代から化学薬品は極力避けてきたが、エマニュエルはさらに一歩進み、ビオジロック農法に転換。自生酵母による自然発酵、亜硫酸の添加は最小限、無濾過、無清澄と、ナチュラルな造りにこだわる。モングーのシャルドネは熟度が高く、11度以上に容易に上がる。従って、ティラージュ時の糖分添加を抑え、炭酸ガスは5気圧程度。手作業でのデゴルジュマン後、ドザージュはなし。クリーミーでバランスの取れたブラン・ド・ブランを生む。

モングーのモンラッシェと呼ばれる「ジャック・ラセーニュ」が収穫年の個性を最高の形で表現した究極のシャンパーニュ「レゼルヴ・エクストラ・ブリュット」樹齢50年の畑を含む2015年をベースに2010年からのリザーヴワインを使用。モングーのシャルドネらしいピュアな酸と豊かなミネラル感、熟度の高いエキゾチックなフルーツのアロマ、シルクのような泡立ちが特徴的なブラン・ド・ブラン。

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since1970

生産者:エマニュエル・ラセーニュ

エマニュエル・ラセーニュ(Emmanuel Lassaigne)1970年生まれ。10年間パッケージマシンの工場で働いた後、1999年に家族経営の小さなシャンパーニュ・メゾンとなる家業を継ぐことを決心し、2002年からは3.5haのブドウ畑と経営を独りで担いメゾンを取り仕切っている。醸造は独学で、醸造学校には行っていない。彼は「化学物資を使うことばかり学ばされるから」と言う。エマニュエルの造り出すシャンパーニュからは、モングーのテロワールをありのままに表現したいと渇望する彼の心の叫びが聞こえると肌で感じるものも少なくはない。

第2のコート・デ・ブランと呼ばれ、9000万年前に海底が隆起した白亜質の土壌

「ジャック・ラセーニュ」の大きな特徴は、コート・デ・ブラン地区と同じく、シャルドネの栽培に適した白亜質の土壌であるということ。その地質年代はコート・デ・ブラン地区よりも1500万年も古く、9000万年前に海底が隆起した、クレ(白亜質)からなる標高260mの丘にある。モングー村のブドウ畑はおよそ215haで、約90%はシャルドネで占められている。コート・デ・ブラン地区よりも南に位置するため、ブドウの糖度は高くなる。この白亜質の土壌はコート・デ・ブランから南側で一旦地中深く沈み込み、まるで離れ小島のようにモングー村周辺で再度地表に現れる。そのために、村の85%はシャルドネが植えられており、「第2のコート・デ・ブラン」と呼ばれている。
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実は、モングーにある単一畑の「クロ・サン・ソフィ」は日本との関わりが深いブドウ畑だとエマニュアルは語っている。明治時代、政府の名を受け、勝沼から二人の青年がブドウ栽培とワイン醸造を学びに渡仏した。彼らが頼ったのは、トロワの農学者シャルル・バルテ。二人は100本の苗木を持ち帰り、勝沼に植えたと伝わるが、その苗が育てられた圃場こそが「クロ・サン・ソフィ」だったのである。エマニュエルは2010年からこの畑のシャルドネを用い、シャンパーニュを醸造している。2007年のサン・トーバンに使われた樽や、2004年のマコン・ソリュトレに使われた500L、1997年の補酒したサヴァニャンに用いた樽、1976年のコニャックに使用した樽で発酵し、6ケ月熟成ののちブレンド。ラベルには、日本から叙勲を受けたバルテが、時の帝に「菊」を贈ったことに因んで「菊」を描いている。日本にとって、この地は大変ゆかりのある場所であることに違いはなく、その繋がりを今も大切に感じてくれているエマニュエルにも感謝したい。

モングーと日本を繋ぐ
明治時代の政府の名

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